世界大百科事典(旧版)内の《崔東壁先生遺書》の言及
【崔述】より
…以後《補上古考信録》《豊鎬考信録》など36巻のほか,多数の古典の批判的研究を行った。これらは,死後,門人によって《崔東壁先生遺書》として刊行された。彼の研究方法は,その後の古典・歴史の研究に大きく影響し,民国以後の顧頡剛らの疑古派の研究を導き出した。…
※「《崔東壁先生遺書》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…以後《補上古考信録》《豊鎬考信録》など36巻のほか,多数の古典の批判的研究を行った。これらは,死後,門人によって《崔東壁先生遺書》として刊行された。彼の研究方法は,その後の古典・歴史の研究に大きく影響し,民国以後の顧頡剛らの疑古派の研究を導き出した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...