帝室内閣(読み)ていしつないかく

世界大百科事典(旧版)内の帝室内閣の言及

【内閣】より

…江戸期にもロシアのミニステル(大臣)が〈内閣〉と訳され,将軍側近の〈御側頭〉と同視された例があるが,議院内閣制の母国イギリスに幕末期にいち早く注目した福沢諭吉は,キャビネットを〈王室〉と訳し,〈政府の号令は国王より出るに非らず王室より出るものとみなせり〉と説明した。これは〈君臨すれど統治せず〉を基調とするイギリス国王と政府=内閣との関係を最も早期に紹介したものであり,後年民権派が明治政府によるプロイセン型〈帝室内閣〉構想に対抗して議院内閣制導入を提唱するに至る出発点ともなった。
[イギリスにおける沿革]
 イギリスの議院内閣制は,日本のみならず19世紀以降の世界に大きな影響を及ぼしたが,その成立は,明治憲法の推進者たちも指摘したように,長期にわたる試行錯誤と同国に顕著な歴史事情に負う面が強い。…

※「帝室内閣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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