常平司(読み)じょうへいし

世界大百科事典(旧版)内の常平司の言及

【飢饉】より

… 中央政府の主導によるこのような備荒対策が機能していたのは10世紀初頭ころまでで,以後衰退していく。都では,759年設置の左右平準署や,その後たびたび設置された常平司(所)などによって,飢饉の際に穀物,塩などの廉売や賑給が行われた。そのための穀物は,近国から集めたり,穀倉院(9世紀初頭設置)などに蓄えられたりしていた。…

【常平倉】より

…常平倉も同じころに廃止されたと思われる。平安時代に京中の米価を安定させるために常平所や常平司が置かれた時期もあったが,たいした効果もなく衰退していったとみられる。【舟尾 好正】 近世中期以降,米価調節や救恤(きゆうじゆつ)問題が論じられるときには,義倉,社倉とともにこの制度が紹介され,その設置が主張された。…

※「常平司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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