常行三昧堂(読み)じょうぎょうざんまいどう

世界大百科事典(旧版)内の常行三昧堂の言及

【阿弥陀堂】より

…これには本尊と脇侍を中心に安置し,周囲を行道できる求心堂平面のものと,九品(くほん)阿弥陀になぞらえた9体の仏像を並べる九体阿弥陀堂とがあった。求心堂平面をもつ堂は平安前期に円仁によって建立された比叡山の常行(じようぎよう)三昧堂のように中心に仏壇をおき,周囲1間通りに行道できる庇(ひさし)をめぐらし,さらに孫庇をめぐらした方五間堂の省略形から発展したとも考えられる。その左右に翼廊を付し,前面に苑池を設けた形は1053年(天喜1)に藤原頼通が造営した平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)で,白河天皇の法勝寺(1077)や藤原基衡の平泉毛越(もうつ)寺(1150ころ)なども浄土になぞらえて,苑池に面する伽藍とされた。…

【常行堂】より

…阿弥陀仏を本尊とし《般舟三昧経(はんじゆざんまいきよう)》にもとづいて常行三昧(じようぎようざんまい)を勤修する堂舎。常行三昧堂,般舟三昧院,阿弥陀三昧堂ともいう。最澄は延暦寺に四種三昧院建立を企図したが実現せず,3代天台座主円仁が唐の五台山に念仏三昧の法を学び,帰朝後,叡山東塔虚空蔵尾に初めて常行三昧堂を建て,不断念仏を修し,しだいに各地にひろがった。…

【法華堂】より

…奈良時代の東大寺では《法華経》〈普門品〉との関係で,観音像を祀る正堂と祭儀のための礼(らい)堂とを双堂(ならびどう)とした。平安時代には天台・真言両宗とも常行三昧堂と法華三昧堂を設けた。この二つの堂を廊でつないだものは,天秤で荷をかつぐ姿に似るため担い堂(にないどう)と呼ばれた。…

【摩多羅神】より

…中世に天台宗寺院の常行三昧堂(常行堂)にまつられた護法神。《渓嵐拾葉集》は,慈覚大師(円仁)の帰朝の船中で影向(ようごう)して念仏守護を誓ったという伝承(大師の引声(いんぜい)念仏請来説話と,新羅明神や赤山明神の影向譚のような外国渡来の神の縁起に基づく)を載せる。…

※「常行三昧堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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