幕末三筆(読み)ばくまつさんぴつ

世界大百科事典内の幕末三筆の言及

【市河米庵】より

…書は初め持明院流を習ったが,心はおのずから唐様書道に傾き,宋の米芾(べいふつ)を慕い,来舶清人の胡兆新に書法を学んだ。晋・唐を宗とし,さらに明・清の集帖や江戸期舶載の真跡を重んじ,ついに唐様崇拝の理想を大成し,巻菱湖(まきりようこ),貫名海屋(ぬきなかいおく)と並んで〈幕末三筆〉と称される。また書論,書法,字体,文房具など広く資料を収集,研究し,《米庵墨談》《清三家書論》《小山林堂書画文房図録》など多くの著作,図録を刊行している。…

【三筆】より

…日本の書道史上の3人の能筆家。平安初期の嵯峨天皇空海橘逸勢(はやなり)の3人を指す。3人を特に三筆と称するようになったのがいつごろか明らかでないが,そう古くにはさかのぼらない。ほかには江戸時代に日本へ渡った黄檗(おうばく)宗の3僧,隠元,木庵(もくあん)(1611‐84),即非(そくひ)(1616‐71。諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。…

【書】より

…江戸末期は概して唐様が主流で,和様は御家流が本流であったが,新時代に影響を及ぼすほどの大家は出なかった。そのため,幕末三筆の唐様書家が主体となり,その門人によって明治初期の書道界へと引き継がれている。1880年,駐日清国公使何如璋(かじよしよう)が招いた学者楊守敬(ようしゆけい)の来日は,近代書道の開眼の契機となった重要なできごとである。…

【巻菱湖】より

…彼は古今の碑版,墨帖をことごとく臨書し,51歳で上洛の際,近衛家秘蔵の賀知章《孝経》(現在宮内庁蔵)を見て用筆の妙を知ったという。下町に人気を博し,市河米庵と江戸の書壇を二分し,これに貫名海屋(ぬきなかいおく)を加えて〈幕末三筆〉と並称される。《十体源流》の著がある。…

※「幕末三筆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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