世界大百科事典(旧版)内の平坂木綿の言及
【三河国】より
…綿はとくに矢作川下流の平野部畑地を中心に早くから栽培が行われ,戦国末には京都に一部送られていたが,江戸開府とともに江戸へ送られた。矢作川河口の平坂(へいさか)経由が多かったために平坂木綿とも呼ばれ,各地に買次問屋があって仲買,小買を通して木綿の集荷に当たっていた。また中期以降は木綿問屋と綿問屋とに分かれてそれぞれ集荷に当たったが,彼らは土地の大地主でもあり,利貸経営者でもあった。…
※「平坂木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」