庚戌の変(読み)こうじゅつのへん

世界大百科事典(旧版)内の庚戌の変の言及

【アルタン・ハーン】より

…1550年(嘉靖29)8月にアルタンは,明との正式な交易を求めて,北京を3日間包囲した。これを庚戌(こうじゆつ)の変という。その後約20年間にわたって明へ侵入し,大きな被害を与えたが,70年(隆慶4),その孫の把漢那吉が明に下ると,明と和約を結び,順義王の称号を得た。…

【明】より

…その後,タタール部のアルタン・ハーンは,1532年(嘉靖11)ころからほとんど毎年のように明に侵入した。50年には北京に迫り,明ではこれを庚戌(こうじゆつ)の変とよんでいる。その後も侵入はやまず,1570年(隆慶4)に至ってようやく和議が成立した。…

※「庚戌の変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む