世界大百科事典(旧版)内の度会県の言及
【伊勢国】より
…桑名郡多度町の多度神社は,鉄工業の神として古来尊崇され,788年(延暦7)の〈神宮寺伽藍縁起幷資財帳〉がある。 古くは川俣,安濃,壱志,飯高,佐奈の県(あがた)に県造が置かれたといい,度会県も見える。孝徳天皇のとき,度会,竹(多気)の評(こおり)がおかれ,伊勢神宮の経費を負担する神郡(しんぐん)の起源となり,664年(天智3)多気評から飯野評が分置された。…
【三重[県]】より
…さらに山田奉行などの支配する天領や伊勢神宮領をはじめとする寺社領,飛地なども入り組んでいた。1868年(明治1)旧天領,神宮領を管轄する度会(わたらい)府が置かれ,翌年度会県と改称された。71年の廃藩置県によって藩はそれぞれ県となり,次いで伊勢国の一志・安濃両郡を境として南北2県に統合され,伊賀国を含む北部は安濃津(あのつ)県に,志摩国を含む南部の度会,久居,鳥羽の3県と紀伊国の熊野川以東,北山川以南の和歌山・新宮(旧紀州藩付家老水野氏領)両県域が度会県となった。…
※「度会県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」