世界大百科事典(旧版)内の度量衡取締条例の言及
【計量法】より
…いわゆる度量衡の統一は,あらゆる国でこのような意味を持ち,強力な中央集権国家が成立するまでは,地方的な多様性をある程度許容する形での進展が見られるのである。日本においても,1875年の度量衡取締条例による近代国家としての度量衡統一の後,91年に度量衡法が制定された。同法の下では,メートル法を基礎に尺貫法が定められた。…
【度量衡】より
…明治維新を機として,政府は,1870年に大蔵省に度量衡改正掛を設けて新時代にふさわしい度量衡の策定に着手したが,伝承されてきた各種の尺度や枡のうちのどれが真の基準であるのかを決し得ず,折衷案あり急進案ありの状況下で一時しのぎの施策を続けざるを得なかった。 しかし数年を経てしだいに正しい見解が定着し,伝統的な度量衡をほぼ具現すると同時に国際的なメートル法の単位との関係も明示された新しい体系が作られて,1875年の度量衡取締条例が成立した。この条令は度量衡の製作,販売,検査などの制度を定めたものであって,単位には言及していないが,この時期に,長さについては1尺=10/33m,質量については1匁=3.75621gというメートル法単位への結びつけが採用され,さらに1升=6万4827立方分の関係を経由して体積の単位もメートル法に結びつけられたのである。…
【秤座】より
…また古道具屋が古秤を売って罪せられることも珍しくなかった。 1875年8月5日度量衡取締条例が発令されて秤改役座方は廃止され,守随,神の2家は特権を失ったが,各県ごと1人ずつの製作請負人として東京では守随彦太郎,京都では神善四郎が認可された。【林 英夫】。…
※「度量衡取締条例」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」