庭田重胤(読み)にわたしげたね

世界大百科事典(旧版)内の庭田重胤の言及

【庭田家】より

…宇多天皇の皇子敦実親王の三男,左大臣源雅信の10世権中納言経資を祖とする。経資の孫重資の後は庭田と田向の2流に分かれ,重資の女資子は崇光天皇に近侍して栄仁親王(伏見宮初代)を生み,また重資の男経有の女幸子は栄仁親王の王子貞成親王(後崇光院)の室となり,彦仁王(後花園天皇)を生むなど,皇室および伏見宮と深い関係があった。庭田家の公家としての家格は羽林家で,権大納言を極官とした。江戸時代は350石を給せられ,神楽の家として朝廷に仕えた。…

※「庭田重胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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