康広仁(読み)こうこうじん

世界大百科事典(旧版)内の康広仁の言及

【康有為】より

…97年,第5上書を行い,ロシア,日本に範をとって立憲君主制を国是とするよう求めたのが,光緒帝に認められ,翌年6月,〈明らかに国是を定める〉との上諭により〈変法〉が開始され,彼は光緒帝のブレーンとなって,いわゆる〈百日維新〉の改革プランをつぎつぎに立案した。しかし,その改革の方法があまりに急激だったために西太后ら保守派のクーデタにあい,わずか3ヵ月で鎮圧され,譚嗣同(たんしどう),康広仁(康有為の弟で大同訳書局を設立)ら6人は逮捕処刑された(戊戌六君子)。康有為は最初日本に亡命し,ついで世界各地を遊歴し,立憲君主政体の実現を期して保皇会の設立に努力した。…

※「康広仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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