世界大百科事典(旧版)内の延安派の言及
【崔昌益】より
…やがて延安に移り朝鮮独立同盟を指導。解放後同志を率いて北朝鮮に帰り財政相等をつとめ,また延安派の中心人物として党・政府に勢力をもったが,56年夏,奪権を図って失敗,追放された。重工業優先路線を無理と批判し,またスターリン批判に同調して自由化を主張したともいう。…
【朝鮮独立同盟】より
…傘下の軍事組織は41年7月朝鮮義勇軍に再編され,武亭,朴孝三の指導下に華北,華中戦線での対日本軍工作に従事し,日本軍から脱出した朝鮮人兵士を受け入れて勢力を増した。解放直後には2000名もの部隊をなして北朝鮮に帰り,共和国の建国過程に参与して延安派と呼ばれたが,56年の権力闘争に敗れて,大半は政権外に追われた。【梶村 秀樹】。…
※「延安派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」