《弔義帝文》(読み)ちょうぎていぶん

世界大百科事典(旧版)内の《弔義帝文》の言及

【金宗直】より

吉再の学統を継承,多くの門人を養成して官界に送り出し,嶺南学派を形成した。彼の死後,彼の《弔義帝文》を門人金馹孫が史草に載せたことを契機に,李克墩ら勲旧勢力との対立が表面化し,門人金宏弼,鄭汝昌らが流配殺害され,彼も墓をあばかれ斬屍された(戊午の士禍)。著書に《佔畢斎集》がある。…

※「《弔義帝文》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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