引間城(読み)ひくまじょう

世界大百科事典(旧版)内の引間城の言及

【引間】より

…1456年(康正2)には徳政一揆が起こり,蒲御厨(かばのみくりや)の農民たちが引間市の土倉を襲撃した。また室町期に遠江守護斯波氏の被官大河内氏が引間城を築いたといわれているが,やがて1517年(永正14)に今川氏親が引間城を攻め,斯波氏の勢力を一掃して遠江を平定し,領国経営の拠点とした。70年(元亀1)に徳川家康が居城を岡崎から引間に移し,これを浜松と改称して以後,引間の名称はしだいに見られなくなった。…

※「引間城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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