世界大百科事典(旧版)内の弘安徳政の言及
【徳政】より
…なおこうした裁判制度の改革には,ほぼこのころまでに,引付―評定制を骨格として完成期に入っていた鎌倉幕府裁判制度への追随模倣があったことは明らかである。 こうして行われた弘安徳政は,関東における安達泰盛の失脚,両統迭立による政権の短命化などによって具体的には大きな成果をあげえないままに終わったが,少なくとも政治思想の面では後醍醐天皇による建武新政へとつながるものがあったと考えられる。寺社興行法
[徳政令]
売却地の取りもどし,債権債務の破棄などを定めた朝廷・幕府・守護大名などの法令。…
※「弘安徳政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」