張呉国(読み)ちょうごこく

世界大百科事典(旧版)内の張呉国の言及

【張士誠】より

…56年都を高郵から平江(蘇州)に遷したが,このころから集慶(南京)に拠点を置く朱元璋(明の太祖)と抗争をくりかえした。内部統制力の差から形勢不利になると,元に下って回復を策したが,63年には再び自立し呉王と称した(張呉国)。しかし64年江西の陳友諒を破った朱元璋がその主戦力を投入すると勢力は一挙に迫(ひつぱく)し,67年平江が陥落した際捕らえられ自殺した。…

※「張呉国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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