張恩溥(読み)ちょうおんふ

世界大百科事典(旧版)内の張恩溥の言及

【張陵】より

…張魯の政権が215年(建安20)に崩壊したのち,その教団は幾多の変容を経ながらも持続し,やがて張陵の後裔といわれる人物を代々〈天師〉に立てて,教団の中心とする伝統が定着した。これが道教の中で天師道または正一(しよういつ)教とよばれる教団で,元代のころから江西省竜虎山に本拠を置いて江南道教の中心となり,第2次世界大戦後は第63代の天師,張恩溥(ちようおんふ)が台湾に亡命して伝統を伝えた。【川勝 義雄】。…

※「張恩溥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む