世界大百科事典(旧版)内の彭大雅の言及
【黒韃事略】より
…1230年代中ころに前後してモンゴル帝国へ使いした中国,南宋の彭大雅(1232年の使節に参加,33‐34年滞在)と徐霆(1234年の使節に参加)が著した見聞記。1237年(嘉熙1)の跋を付す。…
【蹄鉄】より
…しかし,中央アジアおよび北アジアの遊牧民の間に蹄鉄が広く知られるようになるのは,早く見積もっても12世紀以降で,それも全面的に普及するまでには至らなかった。 南宋の彭大雅(ほうたいが)はそのモンゴル見聞記《黒韃事略(こくたつじりやく)》(1237)中で,モンゴル人はひづめが損耗して薄くなり砂磧地帯の走行に向かない馬には,鉄もしくは板でこしらえた〈脚渋〉を装着すると報告しており,モンゴルの大半の馬が装蹄していなかったことをうかがわせる。脚渋は唐代以後の記録に蹄渋,木渋とも見え,中央アジアの砂漠地帯で発達した装蹄法で,古くはもっぱら木製であった。…
※「彭大雅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」