世界大百科事典(旧版)内の待乳山聖天宮の言及
【茶飯】より
…いった大豆や焼栗を加え,食べるときあらためて茶をかけることも多かった。江戸では明暦の大火(1657)後,浅草待乳山(まつちやま)聖天宮門前の茶店が豆腐汁,煮しめ,煮豆などを添えてこれを売り出し,まだ飲食店の珍しい時代であったため,江戸中から人々がこの奈良茶を食べにいったという。その後,各地各所に奈良茶を称する店ができたが,やがてしょうゆ,酒などで味つけするようになった。…
※「待乳山聖天宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」