世界大百科事典(旧版)内の後期ラファエル前派の言及
【ラファエル前派】より
…オックスフォードの学生W.モリスやE.C.バーン・ジョーンズらは《ジャーム》にまねて《オックスフォード・アンド・ケンブリッジ・マガジン》(1856)を発行し,57年にはロセッティの指揮下,ヒューズArthur Hughs,スタナップSpencer Stanhopeらとともに,オックスフォードのユニオン討議場の天井と壁画の制作に携わる。ここで誕生した新しいサークルは,オリジナルメンバーによるP.R.B.と区別してしばしば第2次,あるいは後期ラファエル前派と呼ばれる。彼らはP.R.B.の備えていたロマン主義的な性格を増幅させ,中世風の理想主義的傾向を強調するようになる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」