世界大百科事典(旧版)内の後藤氏の言及
【美作国】より
…美作西部には山名氏勢力の影響が強く,赤松氏の勢力は作東にしか及ばなかった。作東の三星城に拠った後藤氏は播磨の後藤氏の分かれらしく,作西では三浦氏が高田城に拠って頭角をあらわした。 美作は山間の小国ではあるが,中央と山陰を結ぶ連絡路にあたり,また山陽と山陰との通路でもあって人や物資の移動が活発で,大原市(おおはらのいち),林野市,戸川市などが商取引の拠点となって栄えていた。…
※「後藤氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」