世界大百科事典(旧版)内の徐家匯教案の言及
【徐家匯】より
…明の高級官僚であり,キリスト教徒の科学者でもあった徐光啓の生家があったところで,その墓もある。1847年(道光27)清朝のキリスト教解禁をうけて,フランスのイエズス会士が教会を建設したが,原地民の反対運動も激しく,徐家匯教案(仇教運動)として知られる。その後,教会は再建拡張され,イエズス会の中国布教本部が置かれ,各種の教育・福祉施設が付置されていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」