世界大百科事典(旧版)内の御影堂文書の言及
【高野山文書】より
…これら3種の宝簡集の大部分は,《大日本古文書 家わけ第一 高野山文書》として明治末年に公刊されている。 高野山内には,このほかに御影堂文書,勧学院文書などの本寺関係文書,あるいは金剛三昧院,宝寿院,正智院,西南院などの子院文書が多数伝来している。これらのごく一部が中田法寿編《高野山文書》に,金剛峯寺文書(勧学院文書),金剛三昧院文書,旧学侶方一派文書(五坊寂静院,高室院,持明院,清浄心院,西南院文書など),旧行人方一派文書(興山寺,安養院,蓮華定院,西門院文書など)として収められ,高野山文書刊行会から公刊されたが,太平洋戦争の勃発によって中絶した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」