世界大百科事典(旧版)内の御製朋党論の言及
【雍正帝】より
… 対外的には特に積極策をとらなかったが,1724年(雍正2),青海とチベットの反乱を鎮圧して駐蔵大臣を派遣,27年にはロシアとの間にキャフタ条約を結んで国境を画定し,さらに29年にはジュンガルとの戦争に勝利するなど,版図の保持に努めた。その〈御製朋党論〉は官僚が朋党を組むことを禁じたものであり,《大義覚迷録》は,謀反をはかった曾静を訊問して清朝支配の正当性を主張したものであって,専制君主としての自信にあふれた著作である。【小野 和子】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」