世界大百科事典(旧版)内の徳政沙汰の言及
【徳政】より
… 次に〈徳政の最要なり〉とさえいわれた雑訴興行,すなわち裁判制度の拡充策をみると,寄沙汰(よせざた)や嗷訴など,もっぱら宗教的権威をふりかざして国法上の理非裁断の外におかれていた訴訟を禁制する一方,中世社会の現実に対応できなかった訴訟制度を拡充し,〈理非を究める〉ことが現実に可能な制度に向けてようやく一歩をふみ出した。とくにこれも1285年,亀山院政による徳政沙汰と雑訴沙汰(一般訴訟)の分離,両沙汰評定の定例化は,もっとも注目すべき改革であった。神事・仏事・任官・文学等を徳政沙汰として雑訴沙汰から分離させたことは,それらに対する徳政施策の具体化を意味すると同時に,従来こうしたいわばより政治的事項の下に埋没していた雑訴沙汰を大きく浮かび上がらせるもので,近代的な表現を用いれば,司法と行政の分離と評価できよう。…
※「徳政沙汰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」