世界大百科事典(旧版)内の《忍ぶなら》の言及
【小歌(小唄)】より
…清元お葉は16歳で《散るはうき》(最初の小唄といわれる唄)を作曲している。河竹黙阿弥作の《小袖曾我薊色縫》のために作曲された清元《梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)》(《十六夜》)の中の端唄《忍ぶなら》は大好評を得たが,この小唄もお葉の作といわれている。小唄は気の合う者同士がお互いに作詞作曲して披露し悦に入るものであるから清元畑の人々の余技だったが,明治時代に入ると,これに5世尾上菊五郎らの俳優,伊藤博文らの高官,尾崎紅葉らの文人,3世杵屋(きねや)正次郎などの他流派の人々も加わって自作の小唄を披露し合う会が作られた。…
※「《忍ぶなら》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」