世界大百科事典(旧版)内の悪魔憑きの言及
【悪魔】より
…悪魔が堕(お)ちた悪霊の人格的表現であるという教説は,ごく近年の第2バチカン公会議(1962‐65)でも認められ,教皇パウルス6世によって確認されている。とはいえ,そのようなものとして外部から人間に悪と契約するように働きかけたり,はては悪魔の契約書を通じて個人の内部に棲みつく(悪魔憑き)という見解は,個人として存在する悪霊を祓う〈悪魔祓い(エクソシズムexorcism)〉や,悪霊に憑かれた地方共同体を排除する異端審問や魔女狩りのような中世的制度の余地を残すことになるので,カトリック神学内部でも,悪魔の表象を人間の内部にひそむ普遍的な悪と結びつける内面的理解が有力となりつつある。 神の敵対者,キリストの敵対者(アンチキリスト)である悪魔は,必然的に神の反像である悪魔を最高神とし崇拝する悪魔主義者を生み出す。…
【狂気】より
…何時間も踊りつづける〈舞踏狂〉(舞踏病)や皮の鞭で自分の体をはげしく打つ〈むち打ち苦行者〉,人里を徘徊して人間を食い殺す〈人狼〉(狼男),修道院内に頻発する集団憑依現象などがその例として記録され,マイナスの価値をもつものとして扱われている。教会の権威が内部矛盾によってゆらぐ中世末期になると,狂気に由来する異常な言動は悪魔と手を結んだ人間または〈悪魔憑(つ)き(デモノマニアdemonomania)〉のあかしとみなされ,迫害が及ぶようになる。いわゆる〈魔女狩り〉の嵐が吹き荒れたのはルネサンスに入ってからで,〈中世全体を通じて焚刑に処せられた魔女の数は,もっと進歩的になった15世紀とその後の2世紀間に焚刑にされた魔女の数より少ない〉と伝えられる。…
【精神医学】より
… こうして精神の医学は古代ギリシア・ローマ期にその第一歩を踏み出したわけだが,中世に入ると,医学の進歩が全体的にとどこおり,外科学は理髪師の手に,産科学は助産婦の手に,そして精神医学は悪魔祓(ばら)いの僧と魔女迫害僧の手に,それぞれ帰することになる。当時のヨーロッパではキリスト教が支配力をふるい,その影響下で舞踏病,鞭打苦行,集団憑依などが流行し,やがて中世末期からルネサンスにかけて悪魔憑(つ)きdemonomaniaや魔女への迫害が激しくなり,嫌疑をかけられた多くの精神病者が拷問の末に断罪され処刑された事実はよく知られている。このように医学が〈宗教の婢〉と化した一方では,同じキリスト教の僧侶たちが6,7世紀ごろから修道院に病棟と薬草園を備えて精神病者に救いの手をさしのべる。…
※「悪魔憑き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」