惣百姓強訴(読み)そうびゃくしょうごうそ

世界大百科事典(旧版)内の惣百姓強訴の言及

【強訴】より

…しかし小百姓が成長し,訴訟の体験を重ねることを通じて,やがて苛政に対して順を踏まない違法な直訴の方法で農民の要求を実現しようとする闘争が生まれてきた。17世紀中・後期には,惣百姓の意向を体して村役人が単独もしくは少数で直訴する村役人代表越訴(おつそ)が多かったが,そのなかから,惣百姓が徒党して直接に直訴する惣百姓強訴の闘争が発展してきた。早いものは延宝年間(1673‐81)に現れ,1686年(貞享3)の加助騒動は代表越訴と強訴の両方がみられる一揆である。…

【信達騒動】より

…江戸時代,陸奥国信夫(しのぶ)・伊達両郡(福島市周辺)で起こった百姓一揆。この地域では近世後期にしばしば百姓一揆が起こっているが,なかでも1749年(寛延2)の幕領での惣百姓強訴と1866年(慶応2)の世直し騒動は,信夫・伊達両郡にまたがる規模のものであったので信達騒動と呼ばれている。 (1)寛延の惣百姓強訴は1749年桑折(こおり)代官所の代官として着任した神山三郎左衛門が,凶作にもかかわらず過酷な増租策を打ち出したのが原因である。…

【百姓一揆】より

…1637(寛永14),38年の島原・天草一揆(島原の乱)は,武力一揆と逃散の二つに分離していた農民闘争が次の本来的な一揆的結集へ転換していく分水嶺の位置にある。
[惣百姓強訴]
 居村内でのねばりづよい小農自立闘争と領主の小農維持政策によって近世農村が成立してくると,小農民が惣百姓として村役人を通じて領主と向かいあうことになった。兵農分離はいっそう貫徹し,武器は百姓の手から奪われて武力一揆は終わった。…

※「惣百姓強訴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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