世界大百科事典(旧版)内の《愛の嗚咽》の言及
【ヘプバーン】より
…はやくから演劇にひかれ,12歳のときからアマチュア劇団に加わり,カレッジ演劇で経験をつむ。1928年に卒業して結婚(1932年離婚),ボルティモアの劇団でデビュー後,勝気な性格ときたんなさのためしばしば役をおろされながらブロードウェーの《勇士の夫》(1932)で成功し,RKOに招かれてジョージ・キューカー監督の《愛の嗚咽》(1932)でジョン・バリモアの相手役として映画にデビュー。スラックス姿で観衆の前に現れたり,ハリウッドの社交界とは隔絶した私生活を送って,当時のスターとは異質なイメージの女優だったが,第3作の《勝利の朝》(1933)でアカデミー主演女優賞を受賞した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」