世界大百科事典(旧版)内の愛甲三郎季隆の言及
【愛甲氏】より
…12世紀の初め,武蔵七党横山党の隆兼が愛甲内記平大夫を殺害してこの地に進出し,以後その一族が愛甲を称したといわれる。鎌倉時代には幕府御家人に列せられ,とりわけ愛甲三郎季隆は弓の名人として重用された。季隆は射手として幕府の重要な儀式に参加するとともに,2代将軍源頼家幼少時代の弓の師でもあり,曾我兄弟の仇討があったことで知られる1193年(建久4)の富士野巻狩では,頼家に鹿を射止めさせる功をあげた。…
※「愛甲三郎季隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」