慎徳院(読み)しんとくいん

世界大百科事典(旧版)内の慎徳院の言及

【徳川家慶】より

…幼名敏治郎。諡(おくりな)は慎徳院。1797年(寛政9)世子(せいし)となり西丸に入り,1837年(天保8)将軍職に就いたが,政治の実権はなお大御所家斉にあった。…

※「慎徳院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」