慶元党禁(読み)けいげんとうのきん

世界大百科事典(旧版)内の慶元党禁の言及

【韓侂冑】より

…1194年(紹熙5)退位していた孝宗が没したとき,光宗は病気で喪礼を行えず,ために宗室の趙汝愚らが光宗を退位させ皇子の拡(寧宗)を即位させようとし,宮廷の実力者憲聖太皇(呉皇后)の承諾を得るため韓侂冑に奔走させて寧宗が即位した。趙汝愚はこの功績に十分報いず,かえって朱熹らが韓侂冑を弾劾したので,讒言(ざんげん)によって趙汝愚を追放し(1195),朱熹らを偽学の徒として追い出した(慶元党禁いわゆる偽学の禁である)。以後14年間権力を壟断(ろうだん)し,1205年(開禧1)平章軍国事となり,北方の金の衰運に乗じ,06年金を攻撃したが敗れ,和平交渉に入った。…

【偽学の禁】より

…中国南宋の慶元年間(1195‐1200),朱熹(しゆき)(子)とその学派に加えられた弾圧事件。〈慶元の党禁〉ともいう。1194年(紹熙5,朱熹65歳),地方官から皇帝の政治顧問官に昇進した朱熹が,外戚(皇后の親族)の韓侂冑(かんたくちゆう)の専横を批判したのが事の起こりである。韓侂冑とその一派は,当時〈道学〉と呼ばれていた朱熹の新しい学問を〈偽学〉と貶称し,そのグループを〈偽党〉さらには〈逆党〉と呼んでそのブラック・リスト(偽学逆党籍)を作り,かれらの任官の道を閉ざし,その著述および六経・四書の流布を禁じた。…

※「慶元党禁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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