世界大百科事典(旧版)内の憂国党の言及
【士族反乱】より
…明治6年10月の政変以後の士族反乱が旧西南雄藩に偏在しているのは,そのためである。 1874年2月,佐賀の征韓党と1872年6月秋田県権令をやめた島義勇が結成した憂国党は,東京から下野参議の江藤新平を迎えて兵をあげ,県庁を襲った。江藤は岩倉使節団帰国当時(1873年9月)司法卿として活躍し,とりわけ長州系の疑獄事件に腕を振るっていた。…
※「憂国党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」