世界大百科事典(旧版)内の戦意高揚映画の言及
【ドキュメンタリー映画】より
…日本では〈記録映画〉という訳語も一般化している。映画での〈ドキュメンタリー〉という呼称は,そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティがサモア島の住民の日常生活を記録した映画《モアナ》(1926)について,イギリスの記録映画作家であり理論家であるジョン・グリアソンJohn Grierson(1898‐1972)が,1926年2月の《ニューヨーク・サン》紙上で論評したときに初めて使ったことばで,それまでは〈紀行映画travel film(travelogue)〉を指すことばだったフランス語のdocumentaireに由来している。…
【ハリウッド】より
…重要産業に指定されたことによって,ハリウッドの映画人は召集その他の義務を免れる特権をあたえられたが,まず俳優組合がその特権の返上を声明,多くの映画人が積極的に軍籍に身をおいた。スターたちは戦意高揚のキャンプ・ショーや戦線の慰問活動に参加し,戦時公債,各種の基金・義援金の募集に参加し,さらに戦意高揚映画と〈エスケープ・ムービー(現実逃避の映画)〉の製作によって戦争に協力した。そして戦後を迎えたハリウッドは,スターや監督の復帰によってかつての好況をとりもどし,1946年には425本の映画を製作して史上最高の好成績を記録する。…
※「戦意高揚映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」