世界大百科事典(旧版)内の承元の法難の言及
【浄土宗】より
…1198年(建久9)法然は兼実のすすめで主著《選択(せんちやく)本願念仏集》を著した。しかし比叡山や興福寺など旧仏教の側からの非難や迫害は激しく,1207年(承元1)住蓮・安楽の事件をきっかけに法然,親鸞らは流罪となった(〈承元の法難〉という)。法然はまもなく許されたが洛中にはいることを許されず,摂津国勝尾寺にとどまり,11年(建暦1)帰洛して,その翌年80歳で没した。…
※「承元の法難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」