世界大百科事典(旧版)内の担い堂の言及
【常行堂】より
…現存する奥州平泉の中尊寺金色堂,大分県の富貴寺大堂,京都三千院本堂などは平安朝の建物として有名。叡山西塔に現存のものは法華堂と廊でつながれ,担い堂(にないどう)と呼ばれ,1595年(文禄4)の建築。阿弥陀堂【村山 修一】。…
【双堂】より
…また,仏の聖なる空間と人が礼拝するための空間とを別構造でつくって接続し,一つの機能の仏堂としたり(東大寺法華堂)(図2),神の夜の御殿と昼の御殿に使い分けるもの(宇佐八幡宮本殿)もあり,後者の延長上にあるものは,平城宮内裏や地方官衙にもみることができる。なお密教における常行三昧堂と法華三昧堂のように,2棟を離して建てて渡廊(わたりろう)でつなぐものは〈担い堂〉と呼ばれる。【沢村 仁】。…
【法華堂】より
…平安時代には天台・真言両宗とも常行三昧堂と法華三昧堂を設けた。この二つの堂を廊でつないだものは,天秤で荷をかつぐ姿に似るため担い堂(にないどう)と呼ばれた。両堂とも一間四面に孫庇(まごびさし)をめぐらした五間堂で,中央の仏壇四周をめぐる修法が行ぜられた。…
※「担い堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」