世界大百科事典(旧版)内の持明院宮の言及
【後高倉院】より
…1189年(文治5)親王宣下。1212年(建暦2)出家,法名を行助,世に持明院宮と称したが,21年承久の乱に勝利した幕府の意向により,子茂仁が即位(後堀河天皇),みずからは太上法皇として,皇位を経ぬまま異例の院政を開始した。京都北白河に葬り,後高倉院と諡号(しごう)。…
※「持明院宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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