世界大百科事典(旧版)内の放浪紳士の言及
【チャップリン】より
… 1912年,アメリカ巡業中に,勃興期にあったアメリカの喜劇映画のパイオニアであったマック・セネットに認められて,13年にキーストン社に入り,《成功争い》(1914)に初出演した。のち,キーストン,エッサネイ,ミューチュアル各社で数多くの作品に出演したが,そのほとんどで監督を兼ね,ちょびひげ,山高帽,だぶだぶのズボン,ステッキという独特の扮装と演技で個性をつくりあげ(この〈放浪紳士〉の扮装はフランスの喜劇人マックス・ランデルのスタイルを浮浪者風にアレンジしたものといわれる),アメリカばかりでなく世界中で人気を得た。 そして早くも《チャップリンの替玉》(1916)その他で単なる笑劇から風刺劇へ変わっていくその後の作品の原形を示し,18年にファースト・ナショナル社と契約して製作上の完全な自由を得てからは,〈スラプスティック〉,すなわちドタバタの笑いのパターンとは異質の新しい笑い,人間的なユーモアと風刺へ昇化した笑いの創造を目ざし,〈戦いの神の犠牲〉にささげられたあわれな兵隊をペーソスと風刺をこめて描いた《担へ銃》(1918)や,社会的風刺が加わった最後の短編《偽牧師》(1923)を作り出している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」