世界大百科事典(旧版)内の散楽戸の言及
【猿楽】より
…散楽は奈良期に日本に伝来し,舞楽の一部に演奏されたりした。朝廷では〈散楽戸〉を設けて,散楽者の養成を行った。782年(延暦1)〈散楽戸〉は廃止されたが,相撲節会(すまいのせちえ),御神楽(みかぐら),遊宴などの際に近衛府の役人によって演ぜられた。…
【散楽】より
…物まね,軽業,曲芸,幻術などを中心とする娯楽的な見世物芸で,百戯,雑技ともいわれた。渡来以前の日本にも俳優(わざおぎ)や侏儒(ひきうど)の芸能が宮廷に集中されたことがあったが,新たに伝わった散楽は令制では散楽戸で伝習された。散楽に関する文献は少ないが,正倉院蔵〈弾弓図〉〈散楽策問〉《信西古楽図》などから想像するに,軽業や曲芸,奇術や幻術,滑稽・物まねの三つがおもな内容であったと思われ,簡単な楽器で伴奏されたと推定される。…
※「散楽戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」