世界大百科事典(旧版)内の《散楽策問》の言及
【散楽】より
…渡来以前の日本にも俳優(わざおぎ)や侏儒(ひきうど)の芸能が宮廷に集中されたことがあったが,新たに伝わった散楽は令制では散楽戸で伝習された。散楽に関する文献は少ないが,正倉院蔵〈弾弓図〉〈散楽策問〉《信西古楽図》などから想像するに,軽業や曲芸,奇術や幻術,滑稽・物まねの三つがおもな内容であったと思われ,簡単な楽器で伴奏されたと推定される。 散楽は奈良時代に最初の隆盛期をみ,天平年間(729‐749)には雅楽寮に散楽師1名がおかれ,752年(天平勝宝4)4月の東大寺大仏開眼供養に〈唐散楽一舞〉が奉納された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」