世界大百科事典(旧版)内の文化剝奪論の言及
【補償教育】より
…イギリスでは,67年のプラウデン報告に基づき,68年と69年にそれぞれ教育優先地域計画および地域社会発展計画が開始されている。 補償教育の理念は貧困の原因として,貧困から脱出しようとしない貧困者自身の生活態度,あるいは貧困階層の実体をなしている黒人,アメリカ・インディアン,スペイン語系(メキシコ系,プエルト・リコ系など)といった少数民族の文化の中に根深い欠陥があるとし,こうした欠陥をもった文化の中で育つ子どもたちに対して教育によってその欠陥を補償しようとする文化剝奪論cultural deprivation(貧困の文化論culture of poverty)と,貧困階層の青少年の教育に対する投資は社会的に利潤を産出しうるとする教育投資論とから理論化される。補償教育政策の動向は,アメリカにおける人種差別撤廃を求める公民権運動など社会的不平等を是正させる社会運動の前進を背景としているが,その成果をめぐっては,基礎学習の獲得や自律の精神の育成など明らかな改善がみられたという報告がある一方で,激しい論争がつづけられている。…
※「文化剝奪論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」