世界大百科事典(旧版)内の新正俱楽部の言及
【革新俱楽部】より
…具体的には普通選挙と政党内閣制の樹立,軍部大臣現役制廃止,陸軍の師団半減と海軍縮小,枢密院と貴族院の改革,文官任用令改正,知事公選制の実現と市町村の自治権拡大,行財政整理,地租と営業税の廃止,労働問題と小作問題の立法による解決,ソ連邦承認,米・ソとドイツ・オーストリア側旧同盟国の国際連盟への加盟などを主張し,議会内の最左派として民本主義的風潮を議会に部分的に反映させる役割を果たした。憲政会,立憲政友会とともに第2次護憲運動を指導し,政党政治の確立に成功したが,憲政・政友両党の挟撃にあって党勢拡大に失敗し,25年5月14日犬養らの右派は政友会と合流し,尾崎行雄,清瀬一郎らの左派は5月30日に中正俱楽部などと合流して新正俱楽部を結成した。【木坂 順一郎】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」