世界大百科事典(旧版)内の新興教育研究所の言及
【教員赤化事件】より
…それらの教訓から,同年8月非公然に全国的組織として日本教育労働者組合(教労)準備会が結成され,11月国定教科書反対,プロレタリア教育の建設,教員の生活擁護などの方針をかかげて創立大会が非公然にもたれ,日本労働組合全国協議会(全協)支持も決められた(のち,教労は全協一般使用人組合教育労働部となる)。30年8月,教労と一体となって合法的に研究・宣伝・啓蒙活動をおこなう機関として新興教育研究所(新教,のち新興教育同盟と改称)が創立された。教労や新教の活動および組織は全国に広がり,これに対する弾圧は1930年ごろから始まり,33年までに41道府県,98件,検挙された教員七百数十名に及んだ。…
【プロレタリア教育運動】より
…〈教労〉は,教育労働者の生活改善の要求を掲げる一方で,迫りくる帝国主義戦争に抗して反戦平和の教育をおしすすめた。こうした教員組合の運動と表裏をなして,同じく30年の8月に合法的文化団体として設立された〈新興教育研究所〉(所長は山下徳治)が,プロレタリア教育の理論化と普及に努めた。その機関誌《新興教育》もまた戦争反対の論陣をはり,軍国主義教育を批判し,さらにピオネール(校外児童組織)の結成を促すなど盛んなイデオロギー活動を行った。…
※「新興教育研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」