世界大百科事典(旧版)内の於大の言及
【松平広忠】より
…守山崩れで清康が殺された後,一族の桜井松平信定に岡崎城を追放され,今川義元の後援で37年に復帰。41年刈谷城主水野忠政の女於大(おだい)(伝通院)をめとり,翌年家康が誕生したが,44年於大を離別した。織田信秀の三河進出と一族・家臣の離反に苦しみ,今川氏の属将となる。…
※「於大」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…守山崩れで清康が殺された後,一族の桜井松平信定に岡崎城を追放され,今川義元の後援で37年に復帰。41年刈谷城主水野忠政の女於大(おだい)(伝通院)をめとり,翌年家康が誕生したが,44年於大を離別した。織田信秀の三河進出と一族・家臣の離反に苦しみ,今川氏の属将となる。…
※「於大」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新