世界大百科事典(旧版)内の日中長期貿易取決めの言及
【日中貿易】より
…ところが中国国内で再び極左勢力が力を得,海外からの技術導入が〈洋奴〉主義として批判されるに及び,日中貿易はまたかげりをみせ,76年,77年には毛沢東の死,〈四人組〉失脚という国内の政治大変動が影響して,一時貿易は落ち込んだ。しかしその後登場した華国鋒,鄧小平政権が近代化(いわゆる〈四つの近代化〉)実現のために積極的に対外開放政策を推進し,78年2月には〈日中長期貿易取決め〉が締結されるに及んで,両国間の貿易は飛躍的に拡大することになった。78年12月には上海宝山製鉄所をはじめ,プラント成約が相次ぎ,ここに再び中国熱が日本の産業界に生まれたが,80年以後中国国内の経済調整に伴う建設プロジェクトの中断・削減が響き,これを機に,政府・民間ベースによる金融,資源開発,技術改善協力といった地道な経済協力に基づく日中貿易が展開されていくことになった。…
※「日中長期貿易取決め」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」