世界大百科事典(旧版)内の日本人移民の言及
【オーストラリア】より
…最盛期の1897年ころには木曜島やオーストラリア北西岸のブルームを中心に1000人近い日本人がシロチョウガイ採取に従事したといわれる。1887年には日本郵船を中心とした日本の移民斡旋会社がオーストラリアへの移民事業を本格的に扱いはじめ,大量の日本人移民がクイーンズランドを中心とするサトウキビ農園に移住,厳しい農作業に従事した。しかし,1901年連邦制が発足するとともに有色人種を対象とした移民排斥運動が高まり,かつ日本国内で労働力への需要が高まったこともあり,日本からの移民の道は完全に閉ざされ,以後冷却化の一途をたどった。…
【サン・パウロ[州]】より
…1936年までの100年間に約300万人の外国移民(おもにイタリア人,ポルトガル人,スペイン人,日本人,ドイツ人など)が流入して,州内は人種と文化のるつぼと化し,急速に多人種社会が形成された。1908年以来日本人移民も約20万人来航し,現在では州内571のムニシピオ(行政区)で日系人の居住しない所は一つもない。 サン・パウロ工業地帯は今日ラテン・アメリカ最大のものである。…
【排日運動】より
…排日運動は二つの系統に大別される。一つは日本人移民に対する差別,排斥で,他は日本の侵略的行動に対する対抗措置(日貨排斥,日貨ボイコット)である。かつてのアメリカ,カナダ,ブラジル等における日本人移民の差別待遇,入国制限ないし禁止は前者であり,中国や東南アジアにおける日本商品ボイコット(日貨抵制)運動は後者に属する。…
※「日本人移民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」