日本山岳会(読み)にほんさんがくかい

世界大百科事典(旧版)内の日本山岳会の言及

【アルピニズム】より

…この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。アルピニズムは処女峰の登頂からバリエーション・ルートの登攀(とうはん)へ,国内の山から海外の山へ,とくにヒマラヤ,アンデスの登山へと進み,技術的にはより困難な登攀の中に喜びを見いだすママリズム(イギリスの登山家ママリーが1880年代に提唱実践した新登頂主義)の影響をうけ,装備の改良と併行して不可能とされた垂直以上の壁の登攀も可能にしていった。…

【ウェストン】より

…スイスで登山を行った後,1888‐94年,1902‐04年,12‐14年の3回来日。神戸と横浜に宣教師として滞在中,日本アルプスや富士山など全国の山々に登り,また小島烏水らに日本山岳会創設をすすめ,1910年日本山岳会最初の名誉会員に推された。17年には日本アルプスの探検的登山に対し,イギリス地学協会からバック・グラント賞を授与された。…

【小島烏水】より

…この間,雑誌《文庫》の編集にもかかわる。イギリス人宣教師ウェストンのすすめをうけて,1905年10月武田久吉らとともに山岳会(後の日本山岳会)を創立。その機関誌《山岳》に多くの論文,紀行文を残す。…

【山岳会】より

…国際的にもっとも古いのが,1857年創立のイギリスの〈アルパイン・クラブThe Alpine Club〉で,続いてイタリア,スイスが63年,ドイツが69年,フランスが74年,オーストリアが78年などに組織され,アメリカでは1902年に創立された。日本では05年日本山岳会(当初はイギリスのアルパイン・クラブにならって単に山岳会といった。1906年に機関紙《山岳》を刊行)が誕生している。…

【登山】より

… 日本で近代登山の風潮が芽生えたのは,1894年地理学者志賀重昂が《日本風景論》を書き,〈登山の気風を作興すべし〉と説いたこと,また1888年に来日したイギリス人宣教師W.ウェストンの働きであった。小島烏水は1902年槍ヶ岳に登り,下山後ウェストンの著《日本アルプスの登山と探検》(1896)を読んで感激し,ウェストンと会い,武田久吉らとも協力して1905年に初めての登山団体として日本山岳会をつくった。明治末期から大正初期は日本アルプスの探検時代といわれ,主要な峰の登山が盛んに行われた。…

※「日本山岳会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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