世界大百科事典(旧版)内の日本映画演劇労働組合の言及
【東宝争議】より
…太平洋戦争敗戦直後のアメリカ軍占領下,東宝映画会社と同社砧(きぬた)撮影所を拠点とする日本映画演劇労働組合(日映演)の間に生じた4度の労働争議をいうが,一般にはこのうち1948年4~10月に争われた第3次争議を指す。争点は,人事に関する同意約款などを含んだ団体協約の改訂,および赤字克服のための人員整理をめぐってであったが,会社側の事実上のねらいは,撮影所に強い影響力をもっていた共産党細胞の排除にあった。…
【日本映画】より
…企業を追われた人々による独立プロの隆盛である。その先駆となったのは,東宝争議の妥結資金によって日映演(日本映画演劇労働組合)が自主製作した《暴力の街》(山本薩夫監督)で,50年2月に大映系で公開された。そして,これの興行的成功をきっかけに,東宝退社組を中心に新星映画社が設立され,前進座との提携で第1回作品《どっこい生きてる》(1951。…
※「日本映画演劇労働組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」