世界大百科事典(旧版)内の日本綿布輸出組合の言及
【紡績業】より
…05年に生産綿糸のうち,兼営織布用原糸が10%台に達した。粗布を中心とするその製品は主として輸出に向けられ,06年には大阪紡績など3社が,対韓国綿布輸出のために組織した三栄綿布輸出組合による韓国での独占利潤を支えに,同じく06年に組織された日本綿布輸出組合による〈満州(現,中国東北部)〉へのダンピング輸出が行われた。その結果,綿布輸出は09年に輸入を凌駕し,11年には中国市場でアメリカを抜いてイギリスに次ぐ地位を占めた。…
【綿織物業】より
…また97年には豊田佐吉が木製の力織機を完成,その後これを鉄製に改良,日本の綿織物業の発展に大きく寄与した。しかし粗布などの綿布は軍需以外に内需を見いだせず,中国・朝鮮への輸出に向けられ,その動きは1906年結成の三栄綿布組合(朝鮮向け),日本綿布輸出組合(〈満州〉向け)によって強められ,その結果,綿布輸出は09年に輸入を超え,11年には中国市場においてアメリカを抜いてイギリスに次ぐ地位を占めた。大阪,愛知などの機業地において量的に拡大してきた問屋制家内工業は,20世紀に入ると農家織賃上昇と紡績業の操業短縮による綿糸価格の硬直化とによって破綻(はたん)をきたした。…
※「日本綿布輸出組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」