世界大百科事典(旧版)内の日本聾口話普及会の言及
【口話法】より
…これには,西川吉之助(1874‐1925)による娘浜子への教育の成功,米国式口話法による日本聾話学校の開設(1920),名古屋市立盲啞学校の実践,欧米の口話法普及の啓蒙活動,手話法の行きづまりなどが影響を与えた。〈啞でも話せます〉がキャッチフレーズとなり,25年には日本聾口話普及会も設立され,口話法の組織的普及事業(雑誌,図書,教科書の刊行,研究会,講演会,講習会の開催など)が活発化した。こうして,昭和初期に大半の聾啞学校が口話法を採用するようになり,第2次大戦後はすべての聾学校(聾啞学校という名称は消滅)が口話方式となった。…
※「日本聾口話普及会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」